狼,斬落日! 風雲篇・激情篇・怒濤篇的劇情簡介 · · · · · ·
杉虎之助は禦家人の総領として生まれたが、十四歳の時に家出、池本茂兵衛に捨われ、無外流に似た実戦的な剣術使いとなった。八年後、江戸に戻った虎之助は屈強の勤番侍にからまれている叔父の旗本・山口金五郎を偶然救ってやる。その時の、侍數人を川の中に叩き込んだ虎之助の早業に、幼年時代、虎之助の親代りだった金五郎は目を見張った。またもう一人虎之助の働きに瞠目した青年武士がいた。門弟千余人をかかえる江戸屈指の心形刀流伊庭道場の後継ぎ、伊庭八郎である。時に、國中は勤王、佐幕の抗爭が続き、京都では近藤勇、沖田総司ら新選組が池田屋騒動で勤王の誌士を大量殺戮した頃である。虎之助の腕を見込んだ八郎は、自分の友人が隊長をしている洛中見廻り組に力を借してくれ、と熱心に口説いた。その夜、虎之助は恩師茂兵衛の使いの僧から、禮子という女を連れて京都に來いとの伝言を受けた。品川宿で會った禮子は男裝の美女だった。道中、箱根で二人は薩摩藩々士に襲われるが、虎之助は全員斬り伏せる。以來、若い二人の間に愛情が芽生えた。京の町は騒然としていた。その中で虎之助の目を惹く使い手がいた。薩摩の中村半次郎である。その攻撃一途の示現流も迫力があったが、半次郎の情婦の法秀尼という尼僧は、虎之助が江戸にいる時、やくざの手から救ったお秀だったのだ。數日後、虎之助は乞食に身をやつした茂兵衛と再會した。茂兵衛は、自分は幕府の密偵で薩摩藩を探索する身であることを明かし、「お前だけは今の時の流れに巻き込まれず、次の世の中を見つめてくれ」と諭すのだった。禮子も親の代からの公儀隠密で、女ながらに幕府の為に身を挺してきた禮子の話を聞き、虎之助の血は騒いだ。やがて、上洛して來た八郎にすすめられて見廻り組に參加した虎之助は、副隊長格として勤皇の士を斬りまくった。杉虎の異名は京の都にとどろくが、心は空虛感にうちひしがられる日々だった。祇園祭の夜、茂兵衛が薩摩藩士に襲われ死んだ。仇、東郷直二を斬った虎之助に対する茂兵衛のいまわの言葉は「禮子と共に江戸へ帰れ、無駄死するな」だった。鳥羽伏見の戦いで、八郎、沖田総司ら幕軍は、半次郎らの官軍に破れた。その頃虎之助は、師茂兵衛の遺誌を守り、禮子と二人で江戸で愛の日を送っていた。京から逃れて來た沖田総司が胸の病で死んだ。數日後、八郎が虎之助を訪れ、上野の彰義隊に加わり幕臣として最後の一戦を交えよう、と誘った。虎之助は斷ったが、それは上野で斬り死にするより辛いことだった。上野の戦いは幕臣側の慘敗に終った。虎之助と、八郎の義妹で八郎とは相思相愛のつやが、上野の山に八郎を求めて仿徨うが生死不明だった。數日後、彰義隊の殘黨狩りでごった返す町中で、虎之助は片腕を失った八郎を発見した。八郎は虎之助に、柳生新陰流--本心流を受け継ぐ、心形刀流の奧儀である二十四の組太刀を伝えた後、再起をはかるのだ、と函館へ去った。そんなある日、殘黨狩りを続ける薩摩藩士村田以喜蔵が、虎之助の留守を襲い禮子を慘殺した。怒り狂った虎之助は、官軍の一隊を襲い、以喜蔵を斬った。明治六年。虎之助のところへ桐野利秋と名を替え陸軍少將となった半次郎が、遊びに來るようになった。全てが恩讐の彼方に流れ、二人の間に友情が復活したかのように見えたが、茂兵衛殺害の真犯人が実は半次郎であった、と知った虎之助は、西南戦爭勃発で、鹿児島にいる西郷隆盛に従った半次郎を追って、鹿児島へ向かった。殺気をはらんで二人は対決したが、西郷の仲裁と、互いの憎悪が自然に消えていたこともあって、どちらからともなく刀を捨てた。西南戦爭は終った。東京のとある橋の上で、流れる川を眺める虎之助の耳に號外の鈴の音--號外には西郷が自刃、半次郎戦死、との記があった。